紲喜

街と建築を読む

神保町の街並みは、なぜこの形になったのか|本の街をつくった道と時間

靖国通りを行き交う車の流れと、古書店の棚の前で足を止める人。神保町の街並みを考えるとき、この二つの速度を思い浮かべると、街の輪郭が少し違って見えてきます。 遠くへ人を運ぶ大通りがある一方で、一冊の本を探すためにゆっくり歩く場所がある。その距離の近さが、神保町らしい風景をつくっています。 地図では、道路は線、建物は四角い区画として描かれます。しかし、その線の脇で何が売られ、誰が働き、どこで人が立ち止まるかによって、街の印象は大きく変わります。神保町では、本を買うという小さな行動が、通りを歩く理由になっていま ...

東京の時間をたどる

神保町の地名の由来をたどる|武家屋敷の名が本の街に残るまで

神保町と聞くと、どんな風景が浮かぶでしょうか。古書店の棚、読みたかった一冊、喫茶店の窓辺。 東京を訪れるたびに立ち寄る人もいれば、まだ歩いたことはなくても「本の街」という呼び名になじみのある人もいるはずです。 けれど、神保町の「神保」は、本や出版から生まれた言葉ではありません。 千代田区の町名由来の解説では、江戸時代に屋敷を構えた旗本・神保長治にちなむとされています。その屋敷に結びつく「神保小路」という呼び名が、のちの町名へ受け継がれたのです。 ここで少し気になるのは、一軒の屋敷に由来する名前が、なぜこれ ...

東京を歩く

丸の内の旧道を歩く|まっすぐな街で、消えた曲がり角を探す

丸の内は、東京でもとりわけ「まっすぐ」に見える街です。東京駅の丸の内駅舎から皇居へ延びる行幸通り。南北に整ったビルの列。見通しのよい交差点。地図を開けば、街路は端正な格子を描いています。 それでも古い地図を重ねると、この整然とした街の下から別の道が現れます。江戸城の堀と門に導かれ、大名屋敷の塀の間を通った道。 明治になると陸軍の用地を横切り、やがて煉瓦造のオフィス街を結んだ道。そして東京駅の誕生後に、国家の表玄関として新しく据えられた道です。 ここでいう「旧道」は、昔の道筋がそのまま一本残っている、という ...

水辺と自然の記憶

丸の内の水辺はどこへ消えたのか|日比谷入江から外濠、皇居の濠へ

東京駅の丸の内駅舎を背にして皇居の方角へ歩くと、街の印象は「水」よりも「石」と「ガラス」です。整然とした街路、高層ビル、広い歩道。その先に皇居外苑の緑が現れ、ようやく和田倉濠や日比谷濠の静かな水面が視界に入ります。 ところが、現在の丸の内を地形と歴史の時間軸で見直すと、印象は大きく変わります。 この一帯は、江戸が巨大都市になる以前には海につながる低地を含み、近世には江戸城の濠によって輪郭を与えられ、東側にも外濠の水路が走っていました。いま「陸の都心」として見える丸の内は、水を遠ざけて成立した街というより、 ...

人と仕事の足跡

丸の内の日常をつくった人々|名もない担い手が支えた東京の中心

朝七時台の丸の内では、街がもう動いています。まだ会議の始まらないオフィスへ荷物を届ける人、床や窓を整える人、設備の状態を確かめる人、道を清める人。 東京駅から流れ出す通勤者の列が主役に見える時間にも、その舞台はすでに誰かの手で用意されています。 丸の内の歴史は、岩崎彌之助やジョサイア・コンドル、辰野金吾のような名のある人物と、三菱一号館、東京駅、丸ビルといった建築物を中心に語られがちです。 けれども、図面だけで建物は立ちません。企業が移転しただけでオフィス街が生まれるわけでもありません。資材を運び、煉瓦を ...

暮らしと文化を味わう

神保町の祭りは、誰の記憶を運んできたのか|神田祭、三崎稲荷、古本まつりを歩く

神保町の街角で祭りに出会うと、いつもの風景が少しだけ違って見えます。古書店の庇の下を神輿が進み、ビルの谷間に太鼓が響きます。店先に本が連なる秋の日も、通りは普段とは異なる大きな一冊のようになります。 けれども、「神保町の祭り」と一つにまとめてしまうと、この街の大切な輪郭を見失います。 神保町一帯には神田明神の神田祭に関わる区域があり、三崎稲荷神社の氏子地域もあります。さらに、宗教祭礼とは性格を異にする神田古本まつりが、書店街の歴史を毎年新しく語り直しています。 街の境界と祭りの境界は、必ずしも同じではあり ...

街と建築を読む

道幅と曲がり角が語る丸の内|江戸の屋敷境から「歩いて過ごす街」へ

東京駅の丸の内口を出ると、街は驚くほど整って見えます。皇居へ向かう幅広い道、南北に延びる並木道、四角く区切られた街区。高層ビルの足元には石畳が続き、交差点を曲がるたび、店の入口や小さな広場が現れます。 けれども、丸の内は白紙の上に一度で描かれた街ではありません。江戸城を守る大名屋敷の境界、明治政府の軍用地、三菱によるオフィス街建設、東京駅と皇居を結ぶ国家的な軸、関東大震災後の復興、高度成長期の自動車交通、そして人が歩き、立ち止まるための街路づくり。 現在の道幅や曲がり角には、目的の異なる計画が幾層にも重な ...

東京の時間をたどる

丸の内から消えた水辺と建物|見えない風景を歩いて探す

東京駅の丸の内口に立つと、目の前には石畳の広場が伸び、その先に皇居の緑が見えます。 左右には整った高層ビルが並び、街路はほぼまっすぐです。何度も計画され、つくり直されてきた場所だけに、丸の内は東京でもとりわけ完成度の高い街に見えます。 けれども、この整然とした風景は、そこにあったものが残り続けた結果ではありません。 海の入り江は陸地になり、船が通った堀は道路や建物の下へ消えました。大名屋敷が並んだ街は兵営と練兵場になり、やがて煉瓦造りのオフィス街へ変わります。その煉瓦街の多くも、高度成長期以降の建て替えで ...

東京の時間をたどる

災害のあと、丸の内はどう立ち上がったのか|関東大震災から現代防災へ

東京駅の丸の内駅舎を出ると、目の前に広い石張りの広場が開けます。赤れんがの駅舎、整えられた街路樹、その先へ延びる行幸通り。高層ビルの谷間に空が大きく残され、東京の中心でありながら、どこか呼吸のできる場所です。 https://tokyo-wonders.com/marunouchi-old-maps-street-grid/ この空間は、都市の威厳を示す舞台としてだけつくられたのではありません。丸の内は、二度の大きな破壊をくぐっています。 1923年の関東大震災では、周辺の建物が倒れ、火が迫り、夜には行き ...

東京の時間をたどる

地図の余白に残る丸の内|大名屋敷から碁盤目のオフィス街へ

東京駅の丸の内口に立つと、街は驚くほど整って見えます。皇居へ向かう行幸通り、南北に延びる丸の内仲通り、直角に交わる道、端正な間隔で並ぶビル。偶然にできた余地など、ほとんど残っていないように感じられる景観です。 けれども古地図を開くと、同じ場所にまったく異なる東京が現れます。江戸時代の切絵図には大名の名を記した広大な屋敷が並び、明治初期の地図では官庁や兵営がそれに取って代わります。やがて道路が引かれ、土地が測られ、煉瓦造りの建物が置かれ、東京駅を正面に据えた新しい軸が生まれました。 地図に描かれる線は、ただ ...

東京の時間をたどる

丸の内という名は、どの時代を見つめているのか|江戸城の内側から東京の玄関へ

東京駅の丸の内口を出ると、正面には皇居へ向かう広い行幸通りが伸びています。赤煉瓦の駅舎、高層ビル、整えられた並木。その風景から、ここがかつて城の一部として捉えられていた場所だと想像するのは、少し難しいかもしれません。 けれども「丸の内」という名は、現在の建物よりはるかに古い空間の記憶を抱えています。 「丸」は、丸い形の街という意味ではありません。城を構成する区画を本丸、二の丸、三の丸と呼ぶように、城郭の内側を思わせる言葉です。千代田区の町名由来板は、江戸時代のこの界隈が江戸城の内堀と外堀に囲まれ、「丸の内 ...