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神保町の地名の由来をたどる|武家屋敷の名が本の街に残るまで

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神保町と聞くと、どんな風景が浮かぶでしょうか。古書店の棚、読みたかった一冊、喫茶店の窓辺。

東京を訪れるたびに立ち寄る人もいれば、まだ歩いたことはなくても「本の街」という呼び名になじみのある人もいるはずです。

けれど、神保町の「神保」は、本や出版から生まれた言葉ではありません。

千代田区の町名由来の解説では、江戸時代に屋敷を構えた旗本・神保長治にちなむとされています。その屋敷に結びつく「神保小路」という呼び名が、のちの町名へ受け継がれたのです。

ここで少し気になるのは、一軒の屋敷に由来する名前が、なぜこれほど広く知られる街の名前になったのか、ということです。現在の神田神保町一丁目から三丁目までが、初めから一つの「神保町」だったわけでもありません。

そこには別の町名があり、道を挟んだ暮らしがあり、町の区切り直しがありました。

名前の始まり、住所としての歩み、本の街としての成長。この三つを分けながらたどると、古書店のある風景の向こうに、もう一つの神保町が見えてきます。

「神保」は誰の名前だったのか

神保町の地名を考える出発点は、江戸の武家屋敷です。

千代田区は、元禄年間(1688〜1704年)のころ、旗本の神保長治(じんぼうながはる)がこの付近に屋敷を構え、周辺の小路が神保小路と呼ばれたことを町名の由来として紹介しています。

旗本とは、徳川将軍に直属する家臣のうち、将軍への拝謁を許される家格の武士です。地名の説明に登場する長治を、神保町を築いた大名や、本の街を計画した人物と考える必要はありません。

ここで名前が伝えるのは、江戸のこの土地と神保家との関わりです。

「神保家の屋敷があるあたり」という、人と場所の結びつき。それが小路の名として共有され、屋敷の時代が終わっても、土地を指す言葉として残った。地名の成立をこのように捉えると、現在の華やかな書店街から江戸へ、無理なく視線を戻すことができます。

屋敷の場所と、現在の町の広さは同じではない

区の解説が屋敷の手がかりとして挙げるのは、現在の神田神保町二丁目、さくら通り付近です。一丁目の町名由来ページに掲載された作家・逢坂剛の文章でも、白山通りからさくら通りに入った、有斐閣の建物付近との対応が述べられています。

ただし、これは屋敷と現在地を結びつけるための、おおよその案内です。いまの建物の敷地全体が昔の屋敷とぴったり一致する、道路の幅も変わっていない、とまで読み替えることはできません。町の名前の由来と、敷地の正確な境界は、別々に確かめる事柄です。

ここを区別するだけでも、神保町を見る目は変わります。

名前の出発点になった場所があり、その名を持つ町が後に形成される。さらに町域が組み替えられ、駅名としても広く使われるようになる。現在の地名の広がりをそのまま江戸時代へ戻して、「この一帯はすべて神保家の土地だった」と考えるのは早計なのです。

人物の伝記より先に、土地に残った呼び名を読む

神保という姓から、別の時代の武将や同姓の人物を思い浮かべる人もいるでしょう。しかし、姓が同じというだけで人物を結びつけたり、地名の成立を一人の功績にまとめたりすると、土地の歴史から離れてしまいます。

今回の物語で大切なのは、長治の生涯を隙間なく埋めることではありません。地域の由来説明が、神保家の屋敷と神保小路を町名の手がかりとしていること。そして、本の街になるより前から、その呼び名につながる記憶がここにあったことです。

名前の由来を知ると、つい「答えが分かった」と思ってしまいます。けれど神保町では、そこから先も面白いのです。屋敷に結びついた小路の名が、いつ、どのような町の名前になったのでしょうか。

表、裏、南、北|一つではなかった神保町

江戸に由来する呼び名があることと、行政上の町名として定まることは、同じ出来事ではありません。神保町では、この違いを明治以降の町名の変化から読み取れます。

1872年(明治5年)、この地域には表神保町、裏神保町、南神保町、北神保町などの町が生まれました。「神保」という共通の名前に、表・裏・南・北という言葉が添えられています。現在の一丁目、二丁目という区分を見慣れた目には、少し違った街の捉え方に感じられるでしょう。

ただし、表は現在のどちら側、裏はこの通り、と現代の方角だけで即断することはできません。古い町名をいまの地図に置くには、同じ時期の町域を示す資料が必要です。名前に含まれる方位や位置関係は手がかりになりますが、それだけで正確な境界までは決まりません。

裏神保町は1922年(大正11年)に通神保町へと名前を変えました。

その後、1934年(昭和9年)には、表神保町や通神保町、表猿楽町などを再編して神保町一丁目が成立します。聞き慣れた一丁目という呼び方の背後には、複数の町をまとめ直した過程があるのです。

三丁目の前の名前は「今川小路」

この変化がいっそう分かりやすいのは、現在の三丁目です。区の由来板は、この付近に高家旗本の今川家の屋敷があり、屋敷前の道が今川小路と呼ばれたと説明しています。高家は、幕府の儀礼などを担った家々です。

1872年には、その小路の名を受けた今川小路一丁目から三丁目という町名が生まれました。そして1934年、これらの町の一部を合わせて神保町三丁目が成立します。

つまり、今日「神保町」と呼ばれる場所の中には、神保家とは別の家に由来する町名を持っていた土地も含まれています。地名の由来を一つ知るだけでは、現在の町の全体像を説明しきれない。そのことを、今川小路の名は教えてくれます。

一丁目にも、猿楽に関わる人々の屋敷に由来するとされる表猿楽町の歴史が重なります。神保町という名前は、ほかの名前のなかった土地に大きく書き込まれたものではありません。

いくつもの呼び名を持った場所が、町の再編を通じて同じ名前の下にまとまっていったのです。

「神田神保町」という住所が残すもの

1947年(昭和22年)3月15日、神田区と麹町区の統合によって千代田区が発足しました。現在の正式な町名は「神田神保町」です。普段の会話では神保町と呼んでも、住所を書くときには「神田」が姿を現します。

神田と神保町は、どちらかが誤りという関係ではありません。より広い地域の記憶と、個別の町の名前とが、一つの住所の中に収まっています。地図や本の奥付に神田神保町という文字を見つけたら、神保家だけでなく、かつて神田区だった時代にも目を向けてみてください。

なお、千代田区の発足年については、町名由来の一部ページに異なる年の記載があります。

本記事では、区の成立を詳しく扱う「区の起こり・由来」に基づき、1947年としています。町名の変化と区の発足を、一つの曖昧な年代にまとめないことが大切です。

武家屋敷の名前が、なぜ本の街を指すようになったのか

神保家にちなむ名前の歴史と、書店街が育った歴史。その二つの間には、時間の隔たりがあります。江戸の由来だけを知っても、現在の神保町に本が集まる理由までは分かりません。

千代田区の地域史解説は、明治期に周辺で学校が増え、学ぶ人々が集まったことと、書店の発展とを結びつけています。

授業に使う本、専門知識を身につけるための本、外国の新しい考えを知るための本。学校と書物の需要は、日々の勉強を通じて接点を持ちます。

ここで気をつけたいのは、「学校ができた」という一文にも、創立と移転、校名変更などの異なる出来事が含まれることです。大学の現在地を、そのまま創立地だと思い込むと、街の歴史を取り違えてしまいます。

たとえば明治大学の前身である明治法律学校は、1881年、現在の有楽町・数寄屋橋交差点に近い場所で開校しました。大学の沿革では、神田南甲賀町に新校舎を建てて移ったのは1886年です。

最初から現在の神保町の書店街と一体で生まれた、と単純には説明できません。

この一例からも、学ぶ人々の集まる地域が、少しずつ姿を変えながら育ってきたことがうかがえます。神保町だけを切り取るより、駿河台や一ツ橋など、近隣の学校や学問の拠点との関係で見るほうが、本の街の位置が理解しやすくなります。

同じ「本屋」でも、探せるものが違う

現在の神保町を歩く準備には、神田古書店連盟が協力する「BOOKTOWNじんぼう」の書店案内が役立ちます。店名だけでなく、扱う分野を手がかりに書店を探せるためです。

歴史、文学、美術、趣味の資料。自分の関心を入り口にすると、古書店街は「古い本がたくさんある場所」から、探したいものに応じて店を選べる街へと変わります。同じ通りに並ぶ店でも、棚の内容まで同じではありません。

その違いを見つけることが、書店街を歩く面白さになります。

これは地名を読むことにも似ています。「神保町」という共通の名前の中に、表神保町や今川小路などの異なる過去があるように、「古書店」という共通の呼び名の中にも、それぞれの専門があります。

大きなくくりを知ったあとで、一つずつ違いを見ていく。すると街の輪郭が細やかになります。

ただ、神保家の屋敷から現在の書店街まで、同じ仕事や文化が途切れず続いたと考えることはできません。

名前が継承されることと、土地の使われ方が変わることは、同時に起こりえます。神保町では、江戸から受け継いだ名の中に、近代以降の新しい営みが積み重なりました。

本を買う人にとって神保町は目的地ですが、地名の歴史を知る人にとっては、町の役割が変わっても名前が生き続ける例でもあります。目の前の書店の看板と、地図に印刷された町名。その二つは、必ずしも同じ時代から来ているわけではないのです。

住所と町名由来板を手がかりに歩く

では、由来を知ったあと、現地では何を見ればよいのでしょうか。神保家の屋敷そのものを探し回るより、現在の町名を確かめ、由来板を読むところから始めると、過去といまを混同せずに歩けます。

神保町駅には東京メトロ半蔵門線、都営三田線、都営新宿線が乗り入れています。神田駅と神保町駅は別の駅なので、「神田の古書店街へ行く」という言い方だけで行き先を決めず、訪ねる地点の住所と最寄り駅を合わせて確認しましょう。

出発前には、駅の案内図で出口を確かめ、目的の由来板や店を現在の地図に置いておくと安心です。地下から出た直後は、歴史を考えるより先に、どちらが靖国通りで、どちらが白山通りかをつかむ。

そのひと手間が、後の散歩を楽にしてくれます。

一丁目では、同じ町名の中にある違いを見つける

千代田区が案内する一丁目の町名由来板は、神田神保町一丁目3番地にあります。また、一丁目14番地には、旧・表猿楽町を扱う由来板があります。同じ一丁目の中で、違う過去をたどることができる組み合わせです。

それぞれの説明で、「いつからその町名が使われたか」「前には何と呼ばれていたか」に注目してみてください。人名の由来だけを拾う読み方から、町のまとまり方を考える読み方へと、関心が一歩進みます。

旧・表猿楽町の解説には、道路の両側を一つの町のまとまりとして捉える「両側町」という考え方も登場します。一丁目では、靖国通りの南側に奇数、北側に偶数の番地が振られることが紹介されています。

大きな道は境界に見えますが、町の成り立ちを考えるときには、向かい合う両側を結ぶ道でもあるのです。

この説明を覚えておくと、道路を見ただけで町の境界を判断せず、住所表示にも目を向けられます。細かな境界や個別の番地は現在の地図で確かめながら、道の両側を見比べてみましょう。

二丁目から三丁目へ、名前の手がかりを変える

二丁目・一ツ橋二丁目の由来板は、神田神保町二丁目17番地にあると区が案内しています。ここでは、さくら通り付近と神保家の屋敷の関係、そして学校や書店が集まった歴史を、一続きの地域の変化として読めます。

さらに三丁目1番地の由来板では、今川小路の歴史が前に出てきます。二丁目で神保家の名をたどり、三丁目で今川家の名に出会うと、現在の町名だけでは見えない違いが具体的になります。

紹介した番地は、区が公表している由来板の所在地です。屋敷の中心位置や、現在見学できる遺構の所在地を示すものではありません。説明板があるから、その場所に門や庭が残っている、という意味でもない点は覚えておきたいところです。

古い地図で「神保町」を探す前に

由来板を読んで、昔の地図も見てみたくなったら、最初に決めたいのは「いつの神保町を知りたいか」です。江戸の屋敷を探すのか、明治の町名を知りたいのか、昭和の再編後を見たいのか。それによって、探す言葉も資料も変わります。

現在の町名だけを検索して見つからなくても、その場所の記録がないとは限りません。

表神保町、裏神保町、通神保町、南神保町、北神保町、今川小路。この記事に出てきた旧町名は、異なる時代の資料へ入るための手がかりになります。

ただし、これらの名前を一枚の地図の上に同時に並べると、実際には併存しなかった時代を混ぜてしまうことがあります。たとえば裏神保町と通神保町は、改称の前後を示す名前です。

似た名前が二つあるからといって、二つの別の町だったと即断しないようにしましょう。

地図の刊行年と、描かれた時点を確かめる

古地図の複製や歴史地図集には、元の資料が作られた年と、後から刊行された年が別にあります。また、後世に過去の様子をまとめた図もあります。表紙に書かれた年代だけで、すべてを判断することはできません。

資料を見るときは、題名、作者や編者、元の図の年代、改訂の有無、所蔵機関の説明を順に確かめると、何を示す図なのかがつかみやすくなります。「江戸の地図」という大きなくくりを、もう少し具体的にする作業です。

道路や屋敷の描き方にも注意が必要です。古い絵図を現代の測量図と同じ精度で重ねて、敷地境界や距離を断定することは避けたいものです。文字を読みやすくするための配置と、実際の土地の広さが、そのまま一致しているとは限りません。

最初の一歩としては、町名を一つ選び、その周囲にどんな名前が並んでいるかを見るだけでも十分です。

正確な屋敷の形を描き直そうとする前に、どんな場所と隣り合っていたかを読む。そのほうが、地図に書かれていないことまで想像で埋めずに済みます。

由来板は、歴史を読み始めるための入口

今回、千代田区の発足年を別の公式ページで確かめたように、短い解説に疑問があれば、別の種類の資料と照らし合わせることが役立ちます。公式資料にも、記載のずれが生じることはあります。だからこそ、出典を持つことと、その内容を確かめることは、どちらも欠かせません。

もっと知りたいときは、図書館で町名や地域史に関する資料を探す方法があります。

相談するときに「神保町の歴史」だけでなく、「今川小路から三丁目への変化を知りたい」と伝えれば、知りたい範囲が明確になります。疑問が具体的になるほど、資料を読む目的もはっきりします。

神保町は、本を探す街であると同時に、街そのものについての本を探したくなる場所でもあります。

通りで見かけた名前が、棚へ向かう理由になる。本で知った旧町名が、次に歩くときの目印になる。そんな往復ができれば、散歩は一度きりの見物で終わりません。

まとめ|一冊を探す街で、名前の来た道にも出会う

神保町という名の出発点には、江戸時代の神保家の屋敷と、それにちなむ神保小路がありました。けれど、いまの神保町の広がりや魅力は、その由来だけでは語り尽くせません。

明治の表・裏・南・北という町名。三丁目に重なる今川小路の歴史。一丁目に含まれる旧・表猿楽町の記憶。そして、近隣に学ぶ人々が集まる中で育った書店街。現在の一つの名前の下には、成立した時期も意味も異なる歴史が収まっています。

古い名が残ることは、街が変わらなかったことを意味しません。役割を変え、町域を組み替えながらも、呼び名は使われ続ける。神保町の面白さは、古い名前と新しい営みが、いまも同じ場所で出会っているところにあります。

次に訪れる日は、買いたい本の題名に加えて、表神保町や今川小路という名前も一つ覚えておくとよいかもしれません。店先の本を眺めたあと、住所表示や由来板へ少し目を移すだけで、同じ通りにもう一つの読みどころが生まれます。

まだ神保町を歩いたことがない人なら、興味のある分野の書店を一軒選ぶところから。何度も訪れている人なら、いつもの道の名前を確かめるところから。本を探す楽しみの隣に、土地の来歴を読む楽しみが待っています。

訪ねる前に役立つ公式案内

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